佐渡に農耕を伝えた「三助・お菊」の伝説です。
― 多田弁天岬に設置された看板より転載 ―
多田弁天岬
三助・お菊いこいの地
佐渡国の始耕・稲作りを教えた三助・お菊の伝説は各地に残っている有名な伝記の一つです。 土佐国(高知県)の永楽又兵衛という農夫の倅三助は継母にいじめられて佐渡へ流されてきました。 三助の実母は悲しみ、三助の遠流に先だって、籾三升に鍬・鎌を持たせました。 佐渡に着いた三助はやがて能登の国から流されたお菊という女性に多田の浜でめぐり逢い、二人は夫婦となり三助のもってきた籾をまいて稲を育てました。 これが佐渡の稲作の稲作の始まりいわれ三助夫婦がこの多田の地で巡り逢い、農耕をしたことから、逢田といい中古には大田となり、今は多田となっています。 多田沖田には夫婦の使った鍬・鎌を納めた塚がありました。
また多田の西北方に男神山、女神山という二つの山が仲良く並んでいますが三助、お菊をそれぞれ祀った山とされています。 この地は佐渡七弁天崎の一つであり三助・お菊が真夏に語り涼んだいこいの地といわれています。
― 平成3年3月 畑野町 畑野町観光協会 ―