― 杉池入口に設置された看板より転載 ―
赤玉杉池は両津より南東に海岸線で約三十五キロメートル、昭和四十年に県道として開通した赤玉両津港線の沿線 通称四十八ヶ所海抜四百メートルの地にある自然の沼地で、赤玉部落二十五町歩水田の大切な用水路である。
この池の大きさは約十アール、樹齢三百年以上ともいわれる様々な樹々と水バショウ、雪椿の群生にかこまれている静かで神秘的ともいえる池である。
沼地のほとりに直径約二メートルもある一本の大きな杉があり、これを親木としてその根から更に大小の杉の成木が派生林立して誠に不思議な景観を呈しており、古来から誰いうなく、この池を杉池と称するようになった。
この山一帯は部落の共有で、赤玉耕地二十五町歩の水源涵養林として大切に保存されてきており、また滋には杉池のほかにヒョウタン池と称する面積約三十アールほどの小さい用水池がある。 ここには常に杉池から大量の地下水が注がれ、中の川に支流し、灌漑用水として部落民を潤している。
昭和四十年「天然記念物 杉池広葉樹林」として県の文化財の指定を受け、両津市の八の字(8の意)観光ラインの前浜地区拠点になっている。
また春から秋にかけて、島内はもとより、島外からも自然との触れあいや、霊気を求めて訪れる人、多種多様な植物観察をかねた学生、生徒等、無慮一万人と推定されている。
杉池は水神の王 竜神を鎮り杉池大明神として崇め奉り、毎年六月十五日を例祭として数百年間続けられており、当日は部落の古典芸能の奉納 その他多彩な催し物があり、千人をこえる入山者で賑わいをみせている。
杉池一帯は竜神を鎮る神秘の山として、村人たりとも容易に入ることができず、特に女人の入山は厳禁され、昭和の始め頃までしばしば、水不足に悩んだとき、農家の家主が山に泊まり込みで雨乞い祈願(真言)を行い、その時の食料は里でつくり、山まで運んで鳥居の外で受け渡し、後で塩をまいて浄めたといわれている。
また近郊の部落からも大勢の農民が一升びんを下げて雨乞いに登り、杉池の御水を受けて帰り田圃の水口に滴して干害と病虫害の斥けを祈った。
そしてこの水を家の神棚に供えて保存しておき、万病の薬として使用し、今日でも尚行っているが、何時までたっても腐らず、澱まず、澄んでいて、誠に霊妙というべきである。
伝えられるところによると、昔 京都から○○と称するものが者が移住してきて、この一帯の自然を利用し、原住の農民を指導して今日の用水池(ヒョウタン池)を造り、この地方の開田を計ったといわれており、以来 治水のため山を保護し杉池大明神を鎮り、農夫の守護神として、また精進の拠りどころを求めた古人の叡智智恵というか、偉大さに我々はひたすら感謝するのみである。
この尊い遺産を何時までも大切に守り、幾代に伝えたいと祈念する。
― 両津市・赤玉観光協会 ―