ドンデン池にまつわる悲しいお話を記した看板「ドンデン池と大東亜神社」、大佐渡ロッジが設置していました。そのうち、“看板2”の内容を転記します。 (一部、判読出来ない箇所がありました。)
この池は●●山椒魚とモリアオガエルなどの両生類が生息しているほかには淡水性の藻が付着している程度だが、放牧牛たちにはなくてはならない池である。この池があるから千年も前から放牧が行われ、その牛馬に食われる事によって天然芝は広がり、火山灰のこの山の治山、保水に役立っているのである。
ところで、この池の奥の杉の木をごらん下さい。この林のほぼ中央に大東亜神社というのが建っていました。その名からも分かるように、大東亜戦争の間だけ参る人がいたという神社、戦没者慰霊というのはむしろ名目で、実は戦争からの無事帰還を願う為の神社であったようだ。
御国の為に命を惜しむなと言う風潮で、息子や主人や恋人の無事を一目を気にせず祈る事ができたのだという。
そして悲劇は起きた。 白装束に身をまとい池で水ごりをしながら、結婚を約束した恋人の無事帰還を祈った娘が、夏でも涸れないこの池のただ一箇所ある地下水の湧き出る深みにはまりおぼれた。おぼれた後も両の手だけは祈るよう合わさって池面に出ていたというが、この事を語る者は少ない。
娘の命掛けの願いも空しくその恋人も戦死し、報われぬ人の魂がこの池には宿るという伝説だけが残った。
供養と平和の願いを混めて看板1の脇に道祖神が作られてある。
―両津市・大佐渡ロッジ―