「父の割戸」の入口から、大佐渡スカイライン方面へ車で少し移動すると「大切山坑」の入口に到着です。
ここでヘルメットと懐中電灯を手渡されます。ちょっとした“探検隊”気分になってきました。
大切山坑は大切脈の開削のため寛永8年(1631年)から18年の歳月を掛けてようやく着脈した長い坑道です。現在は250mほど中まで進むことが出来ます。
坑道の入口は水が溜まっています。それでも午前中にガイドさんが水抜きをして入れるようにして下さっていたんだそうです。とにかく水が溜まるようで、長靴が必要な理由がよく分かりました。
入ってから何メートルかは、天井が高く掘られています。これは、当時佐渡奉行が馬に乗ったまま坑道内まで立ち入ることが出来るようにしたためなんだとか。
後で売店の方に聞いたお話では、それでも歴代の奉行の中で坑道内まで立ち入ったのはほんの僅かだったとか。
この坑道は当初から400mとながく掘り進む事が分っていたため、換気用の副坑道を掘り、新鮮な空気を確保するようにしていました。
明治になってこの坑道を拡幅した際に、一部繋がってしまい、このように副坑道の様子も見ることが出来るようになっています。
この辺りまで進んでくると、天井もだいぶ低くなっています。うっかりすると天井に頭をぶつけてしまう程です。ヘルメットが必要な理由が分りました。
大切山坑道が開削されたのは江戸時代の前期ですが、明治以降も使用され続け、特に昭和18年から終戦にかけては軍需物資である銅の産出のために集中的に採掘されました。
そのため、近代鉱山の遺構も垣間見ることが出来ます。写真は今も残るトロッコ用の線路です。
現時点で進むことの出来る、最も奥の地点には採掘場の跡が残っています。入口から約250m。外部からの明かりは一切入ってきません。試しに懐中電灯の明かりを消して、真の暗闇も体験させてもらいました。
大切山坑も250m地点で終了、元来た道をUターンして帰ります。次は最後の訪問地点「南沢疎水坑」です。